一冊の本のきっかけ・・・

一冊の本のきっかけ・・・

一冊の本が人生を変えることもある・・・?

 

10年以上前に僕を導いてくれた本・・・

往年の大女優・・・シャーリー・マクレーンですね。

実は今から10年以上前に、ある人にこの本を紹介されて読み始めました。

当時はいろんなことが頭打ち状態・・・自分でもどうしていいやらわからない時だったんですね。

スピリチュアルの世界については興味が全くないとは言わないまでも・・・

どちらかというと「ズッポリ入ってしまうと危ない世界・・・」という認識しかなかったと思います。

男の子として自分の価値を証明するために再び始めたレースも頭打ち・・・

ずっと彷徨っているような状態でした。

ずっと好きだった女性との距離もなぜかどうしても離れていく・・・

何もかもうまくいかない・・・

そんな中、ニュージーランドで知り合ったスイス人の友達から「スイスに来ない?」と誘いがあり、飛行機に乗ってフィンランド経由でスイスに・・・2010年ごろの話です。

その飛行機の中でこの本を読んだんです。

ストーリー的にはシャーリー・マクレーンが恋愛に悩み、そこからいろんなところに旅をして体外離脱などの神秘体験を経験し、自分の人生を再び切り拓いていくというものです。

最初読んだ時は「おいおい、マジかよ笑」という感じでした。

大女優がこんなことカミングアウトしていいんかいなと・・・笑

でも、なぜか心に残ったんです。

別にストーリー的に感動の物語というわけでもない・・・

ただ、なぜか腑に落ちる言葉がいくつかある・・・

スイスを旅している間、この本の感触がずっと残っていました。

マッターホルンの麓の村、ツェルマットに着いて、そこからゴルナーグラート鉄道に乗ります。

終点に着くと、そこは本当に静かで・・・

マッターホルンが目の前に見えます。

おそらく登山者のためのホテルかな・・・

すごく厳かで神聖な世界でした・・・

そして、そこには本当に小さな教会があったんです。

多分、人が2人入れるか入れないかくらいの・・・

中に入って、手を合わせて・・・

そこで、距離が離れていく一方の彼女のことを思っていました。

すると・・・

スッと・・・彼女の気配が自分の横に入ってくるような気がしたんです。

しんとした凍りつくような、神聖な空気の教会の中で感じた彼女の気配・・・

それは、その時はもはや待ち受け画像でしか感じることができない、彼女の感触そのものでした。

なぜかちょっと悲しい感触でした。

ただ、その感触は本当に明らかで・・・

マッターホルンという、高度が高く、人が少ない純粋な空気の場だから感じることができたのかもしれません。

その後・・・最終電車でツェルマットへと下っていくとき・・・

眼下に見えるツェルマットの街の光を見ながら、その感触を抱きしめていました。

今思えば、スイスに行く前に紹介されて飛行機の中で読んだ本が、お膳立てをしてくれていたのでしょう。

その感触が忘れられなかった僕は、帰国してすぐにある退行催眠のセラピーサロンへと行き、ヒプノセラピーというものを恐る恐る受けました。

本当に恐る恐るでした笑笑 正直受ける直前までは疑心暗鬼笑笑

「こんなもんで見えるんかいな」

ただ・・・意外と・・・というべきか・・・笑

次から次へとストーリーが出てくる・・・

見えている・・・というよりも、ストーリーがわかるという感じです。

そして、その中に一つ・・・すごく印象深いものがありました。

僕は中世のヨーロッパ・・・騎士だったようです。

割と上の方の人物だったようですが・・・上からはぎゃあぎゃあ言われ、下からも「もうちょい俺たちのことも考えてくれ」と突き上げを喰らう、悲しい中間管理職だったみたいです笑

そして、僕は膝まずき、ある女性の腕を手に取っている・・・

このシーンは本当にクリアーに見えたんです。

そして、この女性は僕が好きな人だと、明らかに感触でわかりました。

セラピーが終わり、施術してくれた人に経過を聞くと、施術中に僕が描写した光景は空想と考えるには詳細すぎており、間違いなく事実だから、その女性には今すぐプロポーズしなさいと言われました。

ただ・・・悲しいかな、僕にはその見た画像が本当に信頼できるものだとは思えなかったんですよね。

どうしても、自分に都合よく空想を見ただけではないか・・・という思いが消えなかったんです。

結局10年経って、タロットが使えるようになり、前世を確認すると次から次へと10年前に見た光景と合致する内容が出てくる・・・これは他の鑑定師さんに見てもらっても全員合致します。

信じる・・・てそういうことなんですよね。

その時の理性を超えてでも、自分が感じたことを信じることができるのか・・・

「アウト・オン・ア・リム」・・・

それは「『真理』を得るためには、枝の先まで危険を冒して登らなければならない」という意味です。

そう、自分の理性では「怖い」と思っていても、そこに求めるものがあるのであれば、いかないといけない。

理性なんて本当にちっぽけなもの・・・あなたが感じたことが全てです。

そう、この世界はそういう世界なんです。