信じることの威力・・・

信じることの威力・・・

今目に映るこの広い空も、素直に生きるこの気持ちも・・・

 

 

無理に「信じる」とか思わなくても・・・

この世界があなたの内面の反映である以上・・・

あなたが「この世界がある」と信じているので、この世界があなたの目の前に存在するのです。

ある部屋の中にいて、目の前にコーヒーカップがある、ノートがある・・・

ペンがある、パソコンがある・・・

そして、もしその部屋を出たら・・・

コーヒーカップが、ノートが、ペンが、パソコンがいきなり無くなるのか・・・

いやいや、無くなりませんよね。

なぜ無くならないのか・・・「ある」と信じているからか・・・

いや、そうではなくて・・・

部屋を出たからといって、それまで「あった」ものがいきなり「なくなる」ということを信じられないからです。

要するに「反対のこと」を信じられないからなんですよね。

「信じる」・・・というと、人によっては何かとてつもない努力を強いられるように思えるかも知れません。

まるで目の前に何もないのに、そこを無理やり「ある」と信じないといけないような強引さ、必死の努力が思い浮かぶ人もいますよね。

「信じないといけないんだ・・・信じないといけないんだ・・・信じないといけないんだ・・・」

まあ、「〜しないといけない」という言い方がそもそも抵抗がありますよね。

できないから、もしくはすごく抵抗があることだから、「〜しないといけない」となるわけです。

ただ、よく考えて欲しいのが・・・

例えば彼の気持ちがあなたにあろうが、なかろうが・・・

あなたが寝ているベッドが、あなたが勤めている職場の光景が、いつも乗っているバスが変わりますか?って話なんです。

そう、彼があなたのことを思っていようが、全然気にしていなかろうが、日常生活のほとんどの景色やペースは変わらないんです。

彼の気持ちがあなたにあるかないかが、あなたの日常生活を大きく変えるなんてあり得ません。

要は、目の前の景色だけでは何も判断できないってことなんです。

あなたの目の前に彼がいるのか・・・いやいない。

付き合っていようがいまいが、彼が目の前にいない時くらいあるでしょう。

目の前にいない人について考えて落ち込む・・・一体何を根拠にしているのでしょう・・・?

そう、自分で勝手に根拠を出したりしているんですよね。

そう、あなたが勝手に「彼の気持ちが自分にある、ない」の選択によって、日常生活の色を変えているんです。

目の前の状況は何一つ変わっていないのに・・・

要は目の前の景色や状況って「信じる、信じない」の根拠にならないってことなんです。

あなたは目の前の景色に縛られることなしに、目の前の「現状と思える状況」に縛られることなしに、自分が信じたいことを信じることができる・・・

そう、目の前の景色は単に「現状と思える状況」なんです。

だって、あなたには目の前しか見えていないんだから。

この世界の中で、あなたが見えている部分と見えていない部分では、見えていない部分の方が比較にならないくらい大きいことは明らかです。

テレビのドラマのようなハプニングやアクシデントが本当に起きているなんて信じる理由はどこにもないんです。

友達が「そんなの・・・に決まってるでしょ〜!」と言ったところで、その友達はそういう世界を信じたいだけなんです笑

あなたが付き合う必要はありません笑

信じる、信じない、は・・・

あなたが「これが私にとって真実です」と思えることを選ぶのか、それともそれとは反対のことを選ぶのか・・・単にその選択なんです。

そこに目の前の景色は全く当てになりません。他人が言うことも全く当てになりません。

自分が信じたいことを疑いそうになったら・・・

自分が信じたいことを信じられないようになったら・・・

逆に「私はこれを信じないことによって、どんなメリットがあるんだろう・・・」と考えてみてください。

わざと自分をいじめるような考え方をしていたことに気がつくはずです。

この世界は素粒子のスクリーンです。

あなたの思いが反映されている以上、あなたの思いを変えるだけです。

もちろん、あなたの思考は徐々に潜在意識に蓄積し、それが揺るがない事実としてこの世界に映し出される仕組みになっていますから・・・

あなたが今日考え方を変えたからと言って、すぐに世界が変わるようには見えないかも知れません。

でも・・・たとえそうだとしても、あなたの思いが蓄積していずれ現実化する以上・・・

自分にとって都合が悪いことを考え続ける必要はありません。

自分をいじめるようなことを信じたくなったら・・・

「こんなことを考えていて、私には得(とく)なのかな・・・?」と考えてみてください。

思考がいずれ現実化する以上、自分をいじめるような考え方をしていてためになることなど一つもないのです。