今、現状を変えて。

今、現状を変えて。

今、ここで。

 

まず前提が違ってる・・・

学校やその他のコミュニティーでの「みんな仲良く」「いじめのない社会」・・・

今の社会の仕組みがそのまま続いて、同じところにたくさんの人間を詰め込んでいる限りは無理な話です。

たとえば塾や予備校・・・

20数年前までは、一つの教室の中に100人以上の大人数を詰め込んで・・・なんてことは日常茶飯事でした。

でもその傾向も10 年くらい前には確実に下り坂を迎え、今や親御さんは1クラス10人そこそこのクラスですら躊躇い、個別指導塾を検討する人が多くなってきています。

人は「集める」ものではなく、「集まってくる」んですよね。

無理にたくさんの人数を集めて「何かをする」のではないんです。

この世界には引き寄せの法則が働いているんだから、あなたが「何かをしたい」と思えば、人が集まってくるんです。

これは恋愛も同じなんです。

あなたが自然のあなたでいれば・・・

あなたに引き寄せられて自然にやってくる・・・

本当に自然に・・・なんです。

だって、引き寄せの法則が絶対的な物理法則として働いているんだから・・・

でも・・・どうしてもうまくいかない・・・

「自然に・・・」がうまくいかない・・・

理由は一つ、「余計なことを考えすぎている」んですよね。

タロットで鑑定し、ヒーリングさせていただいている僕の意見としては・・・

「人に好かれるように・・・真面目であるように・・・」はマイナスなんじゃないか・・・

と、最近思うようになってきました笑

たとえば、社会に出て「人に好かれる必要がある」は、最終的には仕事などで自分に有利になるように・・・ですよね?

正直、一人で働くならばそんなことを考えなくてもいいのであって、誰かと一緒に働くならば余計な揉め事など背負い込みたくない。

ただ、実際のところ「好かれよう」とする努力が、うまくいくことは少ないんですよね。

もちろん、表面上はうまくいくかもしれませんが、「好かれよう」とする気持ちの裏側は「このままでは私は気に入られない」という潜在的な気持ちの裏返しなので・・・

当然、その潜在的な気持ちの方がいずれ実現します。

だから、一応会社でも「好かれてはいる」「気に入られてはいる」ように思えるけれど、実際のところ損な役回りになったり・・・

好かれた・・・と思ったら暗転していじめられたり・・・と落ち着きません。

恋愛だってそうなんです。

「好かれたい」と思うからには、やはり裏の気持ちがある・・・

「『好かれる』よりは、『好き』になれ」と言われるのは、そういうことなんですよね。

仕事、友達、恋愛・・・どんな人間関係であれ、「他人ありき」ではうまくいきません。

もちろん、社会の中で生きている以上、ある程度他の人に合わせるのは仕方がありません。

でもそれは「嫌な状況を一生懸命に我慢をする」ということではないんです。

僕は、これは日本の社会構造が原因なのかな・・・と思います。

比較的大人しい、調和的で我慢強い農耕民族・・・

全ての人がそうであるとは言いませんが、やはりこの傾向が強い人は多いですよね。

争いが起きないのは素晴らしいことなのですが、逆に言えば「管理しやすい」ということになります。

その傾向が顕著に出ているのが・・・たとえば学校。

確かに戦後のベビーブーム以降、大人数が当たり前だった時代では、先生が生徒を管理するのは一苦労です。

結果として、「大人しい真面目な言うことを聞く生徒」が重宝されたのも肯けます。

別に「反抗することを良しとする」わけではありませんが、大人しく真面目で大人の言うことをよく聞く・・・ということは・・・

それだけ自分の意思を抑えているということなんですよね。

こう言った傾向は人間であれば、日本に限らず世界どこでもあるものなのですが・・・

日本は特にこの傾向が強い・・・

自分を抑えてきた人は、自分が黙っていれば大丈夫なんだと思う・・・自分が我慢するべきなんだと思う・・・

または「私は自分を抑えてきたんだから、他の人も自分を抑えるべきだ」と思う・・・

でも、これはそもそも前提が違うんですよね。

周りの人は本来は、あなたに協力してくれるキャストにすぎない。

だから、あなたがそのキャストに対して、無理に付き合い、我慢をする必要もない。

そして、あなたが無理に従わせる人たちでもない・・・

合わないのであれば、合う人を引き寄せるだけなのです。

絶対に「外の世界、他の人ありき」ではないんです。

逃げたいならば逃げてもいい。嫌ならば「嫌だ」と言えばいいし、それでも付き合わないといけないなんて絶対にない。

自分こそが、自分が見ている世界の創造主であるはずなのに、それを「外の世界ありき」としてしまうと、大きく前提が狂う・・・

どんな理由であなたが自分の意思を選ぼうと、それが他人によって咎められたり、非難されたい、恨まれたりする謂れ(いわれ)は絶対にない。

これを今世、今生きているこの瞬間に絶対に胸に刻み込むべきなんです。

というのも・・・

あなたがこの世界をいずれまた去るとき・・・

あなたは自分の人生を再びいろんな角度から再生することになる・・・

本当にいろんな角度から、いろんな場面を見ることになる・・・

子供の頃・・・学生の頃・・・社会人になってから・・・

それを自分の目線だけでなく、いろんな人の目線で・・・

ただ、この瞬間に心に留めておくべきことは・・・

その人生に出てきた他の人は・・・本当の意味で「本人が納得した上で、あなたに引き寄せられてやってきた」ということなんです。

引き寄せの法則は、相互間で引き寄せ合います。

「一方的に」ではないのです。

つまり、あなたの人生に引き寄せられてきた人は、その人が無意識であれ、納得の上で引き寄せられています。

そして、引き寄せられてきたものの・・・あなたとうまくいかなかった・・・

相手はあなたに期待をかけていたけれど、あなたはそれに応えることができなかった・・・

相手はあなたを罵る、蔑む、無視する、怒る、罵詈雑言を浴びせる・・・

ただ・・・ここで絶対にあなたが罪悪感を感じる必要はないのです。

だって、その人たちは無意識であれ、そうなることを承知で引き寄せられているのです。

お互いが引き寄せ合うのが「引き寄せの法則」・・・

あなたが彼らの意思を無視して一方的に引き寄せるなんてあり得ないのです。

お互いの方向性が合わないならば、相手に無理強いはあり得ません。

ただ離れるだけ・・・

もちろん、あなたが自分の人生において、意図的に他人を傷つけた場合・・・

それもあなたは再生して見ることになります。

しかも相手の立場にも立って・・・

そこであなたは自分がやったことの重さを知る・・・

だって、相手も元はと言えば「自分」・・・

ただ・・・これは何も「罰を受ける裁判の時」というわけではないんです。

あなたが意図的に他の人を傷つけたなら、その再生シーンによって「自分がやったことの重み」に気がつくことになる・・・

そして、それを抱えて次の生へと転生していくでしょう・・・

でも、あなたに責任がないことにまで、あなたが苦しむことはない・・・

意図的にあなたが他人の人生を左右しようとしない限り、あなたが自分の人生を守ろうとするのは至って当然のこと・・・

あなたが自分の意思を尊重し、「私は私の人生を生きるから、ありがとう・・あなたはあなたの人生を生きてね」とさよならをして、それに対して相手があなたに憤りを感じても、全くあなたには責任がないのです。

ここまで背負い込んでしまうから、余計なカルマになるんですよね。

元々愛で創られるこの世界の中で、「やられたらやり返し、やり返されたらさらにやり返す」というような無限ループのカルマなどあり得ません。

合わないならば、合うところにいく・・・

お互いに「やられたらやり返す」不毛なカルマループは抜けて、本当の意味で自分の世界創造へと向けて進んでいくのが自然の姿なんです。

あなたは今、生きているこの瞬間に、どんなことをしてでも自分の人生を尊重すべき。

自分がやりたいこと、信じていることを最優先にする・・・

そうすれば、そんなあなたに引き寄せられる人がやってくる・・・

その結果として去っていく人がいるのも自然の過程なのです。

カルマとはそのほとんどが、「私たちが外界に必要以上に振り回された結果としてできた不必要な無限ループ」に過ぎません。

本当はこんなものは存在しません。

もう、自分自身ででっち上げて、自分自身で経験し、しかもずっとそれに縛られているのです。

不毛なカルマに縛られないようにするためには・・・

今、あなたが

この生において、

この瞬間に、

他人との関わり方について考えることです。

周りの人はあなたの人生に彩りを付け加えてくれる、偉大なキャストです。

でも、必要以上にそのキャストに意味を持たせる必要もない・・・

本来の主役はあなただと思い出してください。

僕がヒーリングをさせていただく時・・・

その一つ一つを、全世界で動いている「カルマ」という勘違いを外していく作業だと考えています。

本来は現実に振り回されている人たちへの「慰め」でしかなかったものが、今や全世界を席巻する伝染病のようになっている・・・

私たち一人一人が世界を創造している以上、こんなバカバカしい「勘違い」とは敢然と縁を切る覚悟が必要です。

他人よりも自分を見る・・・

自分こそが創造者であるという本来の状態に戻る・・・

僕が好きな人は、このような共同作業のために出会うべくして出会った人です。

でも、この共同作業を、僕は「世界のため」とか考えていません。

二人のためにやることであり、自分たちのためだと考えています。

まずは自分たちが幸せになる・・・これが大前提なんです。