信じた世界を見ている

信じた世界を見ている

人は信じた世界を見ています。これはスピリチュアルでは言い古された文句なのですが、事実です。でも、多分、あなたは「信じている」ということがどういうことがわかっていないかもしれません。

信じている〜「思っています」ではない

今日はちょっと難しい話になります。でも、役に立つと思います。

基本的に、私たちは自分が信じている世界を見ています。これは絶対です。

私たちは自分が信じていることを周りの世界に映し出します。

この世界のもの全ては我々の信じていることの反映です。ただ・・・ここでちょっと難しい問題に直面します。

「じゃあ、今日から私は『〜だ』と考えることにする」としたところで目の前の世界が一気に変わるわけではないということなんです。

いや、理屈上はそうなのです。変わるはずなのですが、それがなかなかうまくは行かない・・・

我々は1日に6万回以上、思考すると言われています。それが何日、何週間、何ヶ月、何年と積み重なったその量は恐るべきものです。

思考であれなんであれ、私たちの世界では似た者同士を引き寄せます。なので、何かを考えるとその何かに似た様な別の思考を引き寄せることになり、その何かをさらに強くしてしまいます。

「A」という思考が「A’」も「A”」もと呼び寄せてしまい・・・最終的に「A」という思考は非常に大きく、強くなってしまいます。

そうなると、その思考は「あって当たり前」のものとなり、ありふれた日常の光景と同じとなります。

目の前にコーヒーカップがある・・・あって当たり前。「こんなところにコーヒーカップがあるなんておかしい」なんて思いもしない。何よりも「そこにコーヒーカップがあることの是非」さえも疑おうとしない。

それが「信じる」ということなんです。

目の前にコーヒーカップがある・・・あって当たり前・・・いつの間にかそれは「当たり前」のものだから、あっても意識しなくなる・・・

意識しないまま、独りでにコーヒーカップを手に取り、コーヒーを飲む・・・何回コーヒーカップを口に運んだのかも覚えていない・・・

「当たり前」ということは、「意識しない」ということなんです。

当たり前の様にそこに見えるもの・・・本当はそうではありません。

そこに絶対的にある様に見えているだけ・・・あまりに習慣的に考えている・・・しかも無意識に「当たり前」の様に考えているから、その存在を疑いもしない・・・

これが「信じている」ということなんです。

例えば・・・ある人がもう一人の人に「私はあなたを信じています」と言うとする・・・

もちろん、その人には「あなたを信じたい」と言う強い意志はあるのでしょう。

でも、「信じています」と言ったからといって、本当に「信じている」のかどうかは別問題。

「信じています」と言う心の奥には「信じていますから、あなたには私の思い通りに動いて欲しいのです」と言う意思がある・・・

そして、さらにその奥には「私はあなたが思い通りに動いてくれないから、『信じています』という言葉を伝えることによって、あなたに自分の思い通りに動いて欲しいと思っています」という気持ちがある・・・

ということは・・・「信じていない」のです。

本当の「信じる」というのは「考える」「思う」と次元が違うのです。

 

思考の螺旋階段に陥らない

自分の考えることが「信じる」に到るまでには、長い過程があります。

基本的には同じことについてずっと考えているだけで、それが信念となります。

同じことをずっと考えていると・・・それが同じ様な別の思考を呼び寄せ、どんどん掘り込んでいってしまう・・・

掘り込んでいけばいくほど、その考え方は「現実味」を帯びて、どんどん強固になっていきます。

自分が何か嫌なことを考えているな・・・と思ったら、そこで「思考の螺旋階段」を止めてください。

考えるだけならば、現実化することはそれほど多くはありません。

何かを考えると「そんなはずはない」とそれを覆す様な思考も働くケースが多いので、ちょっと考えるくらいならば現実化はしないのです。

例えば、「今日、家にお花が届くかもしれない」と唐突に思ったとします。でも、思ったその瞬間に「でも、誰がお花なんて送ってくれるの?」「うちの人はそんなことをする人じゃないし・・・」という思考が生まれます。

これは意識していてもしていなくても、瞬時に働きます。「お花が届く」と思った思考がある、もっと下の層に「そんないいことが起こるわけがない」と無意識で習慣になった思考があるので、ご本人がその様に「打ち消す」方向で考えたつもりがなくても、自動的に、瞬時に打ち消されているのです。

思考は本当はといえば、最初の一歩だけでいいのです。「〜したい」それだけでいいのです。

だってこの世界はあなたの思考の反映です。あなたが信じられることであれば、「〜したい」と思えば叶うのです。あなたが思うだけで、あなたの思考は強烈な「矢」となって、全世界へと届きます。

なぜ、そこからさらに考える必要があるのでしょうか?

どうしてそこからさらに「〜するためにはどうすればいいのだろう・・・?」と考える必要があるのでしょうか?

それはあなたが「実現する」なんて信じていないからです。

「なんとかしないとうまくいかない」・・・その根底にあるのは「うまくいかない」です。

「自分でもできることがあるはず」の根底にあるものは「自分でも何かしないとうまくいかない」です。

本来「〜したい」と思えば、その願望がそこから自動的に展開します。

何かを思ったのであれば、そこでその気持ちを止めないでください。

自分に冷や水を浴びせない。自分の愛を止めない。

最初はうまくいかないかもしれません・・・今までの考え方の習慣が残っているから・・・

でも、「ダメだな」と思ったら、まず考えることをやめるのです。

目の前の光景に振り回されている限り、そこに答えはありません。

だって、その目の前の世界はすでにあなたの思考の反映です。

そこにさらに思考を注ぎ込み、分析したところで、今までの思考を強化させるだけです。

「これはもう、どうにもならない・・・!」と思ったら、一旦目の前の世界から手を引いてください。

あなたには見たいものを見る力があります。でも、その力が目の前の光景にあまりにも振り回されてしまって、曇ってしまっている・・・

そんな時は自分に戻るのです。

周りの人があなたにどんなことを言ってきてもあなたには効果がない・・・というのも、その言葉に効果があるのかないのかを選べるのはあなただから・・・

元はといえば、その周りの人もあなたの思考の反映・・・あなたの猜疑心が周りの人の口を借りてあなたに戻ってきているだけなのです。

そんな雑音はあなたの思考の残渣(ざんさ)の様なものだから、放っておけば流れていきます。一旦流してください。真に受ける必要はありません。

流していけば、本当のあなたが・・・本当の世界が見えてきます。

そこからあなたは見たいものを選ぶのです。

真実は周りの人が言うことの中にはありません。あなたの中にあります。

ただ、今まで積み重なってきた思考の層があまりにも多い場合・・・途方に暮れてしまうことがある・・・

そんな時にヒーリングがあるのです。

ヒーリングは余分な勘違いを取り去って、あなたを元に戻す・・・それだけです。