その気分的な不快感は憑依されているかも・・・?

その気分的な不快感は憑依されているかも・・・?

あなたではない感情が入ってきている・・・

 

あなたの体が壁になっているわけではない

広大なこの世界・・・

この世界にあるものは全て「素粒子」という小さな粒子からできている・・・

そして、この素粒子は人間の意識と連動しており、人間が「見る」と決めると瞬時に姿を変えて・・・

その人間が「見る」と決めたものを見せてくれます。

テーブルも、ノートも、ペンも、コンピューターも、コーヒーカップも、その中のコーヒーも・・・

そして目の前にある見えない空気でさえみんな素粒子・・・

そして・・・

あなたの体も素粒子でできています・・・

あなたは、自分には肉体があり、その内部が自分であり、その外部が外側の世界であると思っている。

そこに厳然とした「皮膚」という境界線があり、その境界線によって自分という一人の人間が形作られていると思っている・・・

自分という「一人の人間」がいて・・・

周りの世界はみんな「外側」・・・そう感じて当然なんです。

でも・・・

肌も素粒子・・・その周りの見えない空気も素粒子・・・できている素材は同じです。

ということは・・・

境界線なんてないんですよ笑

素粒子が寄り集まり方を変えて、演出しているだけ。

だってみんな素粒子なんだから。

したがって・・・壁がないに等しいので・・・

本当のところ、他人の思念が飛んできても、自分の体に素通りで入ってくるんです。

思念なんて一発で飛びます。深く考えなくても飛ぶんです。

だって、引き寄せの法則の原動力なんだから。

あなたがある人のことを考える・・・

ちょっとだけ考えてみる・・・

そして、好きならば、その「好き」という気持ちを込める・・・

そうすると、その思念は一発で飛んでいく・・・

その思いがそのまま飛んでいくんです。

そして、その思念はお相手に受け取られる・・・

それから、その思念はお相手にも同じ気持ちを残す・・・

なぜなら、本来お相手さんも元々の「あなた」なので、同じ気持ちで受け取るんです。

これが引き寄せの法則なんです。

あなたの気持ちが相手にも伝わる・・・同じ気持ちだから引き寄せ合う・・・

単純でしょ?笑

でも、単純じゃないのは「引き寄せの法則」ではなく、人間の気持ちなんです。

たとえば・・・以前にあるお客様の鑑定で、お相手さんは既婚者だったんですが・・・

カードを見て、「ああ、お相手さんの奥さんもお相手さんのことが好きなんですね・・・」と申し上げると・・・

「その言葉は傷つきました・・・!」と強い口調でおっしゃいました。

僕が不用意だったのもあるのですが・・・

自分がお相手さんのことを好きであり・・・他の人もお相手さんのことが好きである・・・

でも、大切なのは「ご本人がお相手さんのことを好きである」・・・それだけなんですよね。

他の人は関係ないんです。

そりゃあ、人間生きていれば、「ある人のことを好きな人が一人だけである」なんてことはあり得ないでしょう。

自分の気持ちがどうであるのか・・・それだけなんです。

それを「彼のことを好きでいていいのは私一人だけ。他の人は許さない」となると、倫理的に「良い、悪い」ではなく、余計な観念が入ってしまうんですよね。

つまり「私以外に彼を奪い取ろうとしている敵がいる」ということなんです。

こうなると・・・もちろん敵を強めてしまいます。

そして、こういった念ももちろん、飛んでいきます。

で、頭の中で考えた「この念」に関わる人全てに飛んでいきます。

となると・・・この人のお相手さんに対する思いは「争う敵がいる、なかなか手に入らない人」なので、どうしても、お相手さんはなぜか逃げたくなる・・・

そして、その敵となるお相手さんの奥さんは「奪われる・・・」という思いがさらに強くなる・・・

ただ、そういった念ってやって来ると、体にあまり心地良くないんですよね・・・

なぜなら、そもそも「全てが叶うこの世界」において逆方向のことを考えている・・・

あえて敵を作る考え方なので、自然の流れとは反してしまっているんです。

以前から申し上げていますが、この世界で一番力が強いものは「自然な物事の流れ」なんです。

何が自然なのか・・・私たちの周りの世界は私たちの意識と連動している「素粒子」からできている・・・

ということは、「思いのまま」になって当たり前なんです。

私たちがなぜ生きているのか・・・自分の思い通りになるはずの世界で、自分の思いを実現するためです。

そう、思い通りになることが自然なんです。それが「生きている」ということ。

「信じる」:”believe”ということは、「生きている」:”be-live”なんです。

でも・・・その「自然な流れ」を信じていないことは・・・生きていないということ・・・

そのような念は「生きている本来の自然の流れ」と矛盾するものであり、生命の流れを止めるものなんです。

なので、そのような念が来ると・・・苦しくなる、気分が悪くなる・・・

日常生活で触れるストレスと同じなんです。

最近インターネットが普及し、次々と新世代の「気づき」が多い子どもたちも増えている・・・

世界がどんどん変わってきているので、それと同時に「敏感な人」も増えているんです。

もちろん、鈍感な人もいます。全く気づかず、ゴリ押しでどんどん進んでいく人もいる・・・

ただ、そんな人たちがいる一方で、「気づき」を得ている人たちの数も増えている・・・

その「気づき」とは・・・ただ「自然の流れ」というものに気づくだけなんです。

自然の流れに気づく人が多くなってくると・・・世界が敏感に反応するようになって来る・・・

世界が本来の姿を見せるようになってくる・・・

そうなると・・・ゴリ押しでつらぬいてきた人のやり方がうまくいかなくなる・・・

それが自然な流れなんです。

その自然の流れに気づいている人が多くなってきているから・・・その流れに反するものに敏感になる人も多くなる・・・

僕や僕が好きな人もヒーラー体質なので、こういった影響は結構受けやすいんです。

だから最大限防御する必要がある・・・

下手に受けてしまうと、人格が変わってしまうくらいにまで行ってしまう・・・

いわゆる「憑依(ひょうい)」ですよね。

世界は一つです。それは疑いの余地がない。

でも、あなたはその世界の中で「自分」という一人の人間を設定し、いろんなことを経験しようとしている・・・

あくまで主体は「あなた」なんです。

でも、スピリチュアルに敏感になり、いろんなものが周りから押し寄せて来るようになると・・・

どうしても周りからの影響には対応せざるを得なくなります。

そのために効果的なのが・・・

 

「真言(しんごん)」なんです。

「唱えたてまつる光明真言は、大日普門の万徳を二十三字に集めたり、己をむなしゅうして一心に唱えたてまつれば御仏の光明に照らされて、迷いの霧自ずから晴れ、浄心の玉明らかにして真如の月まどかならん」

まず、「光明真言」・・・サンスクリット語なので、今の私たち日本人には何のこっちゃ全くわからないですが・・・

でも、それが重要なんです。

サンスクリット語の起源は、紀元前1500年ごろ・・・・

人間の世界に文明ができて発達し始めた頃に使われていた言葉で、全ての人間が遺伝子の中にその情報をシェアしています。

だから、表面上の意識では何のことやらわからなくても、元々から遺伝子の中にインストールされていて、身体が反応します。

私たちが今使っている日本語、英語などであれば、意味がわかるので安心感はあります。

でも、意味がわかってしまうので、表面上の意識が「そんなわけがない」とはねつけてしまうこともあります。

でも、意味がわからないサンスクリット語であればスッと入ってくる・・・

意味がわからなくてもいいので、ただ読み上げるだけ・・・

「迷いの霧自ずから晴れ」というフレーズが、何というか・・・体の中にすでインストールされている何かを起動させてくれそうですね。

あなたのアイデンティティーを強め、外から来る歓迎できない影響からのブロック力を強めます。

ちなみに意味は・・・

 

「宇宙の真理である大日如来様、お願いいたします。大きく限りない光で私たちの進む道を遍く(ひろく)照らし出し、成就へとお導きください」

 

本来「成就して当たり前」・・・それを思い出させてくれる・・・自然に戻してくれる力強いお言葉です。

 

あと・・・もう一つ・・・

 

 

「愛染明王」真言ですね。

愛染明王真言はなぜか「縁結び真言」のように思っている人も多いようですが・・・

邪縁は切り裂きます。

人間のエゴなど打ち砕いてしまいます。

人間の縁を本来の正常な形に戻すものと考えられます。

意味は・・・

「オーム、偉大なる愛染明王様、決して壊れない最高の仏智を携えた(たずさえた)尊よ。金剛薩埵(こんごうさった)と同一の尊よ。我々を仏智に導いてください」

「仏智に導いてください」なので、そこにエゴが入る余地がないんですよね。

真言は僕もヒーリングで使わせていただくことが多く、しかもむちゃくちゃ良く効きます。

その効きかたに、人間の狭量な論理の入る余地はありません。

世界は一つ・・・だけど、私たちは目の前の世界のリアルさに、時には我を忘れてしまいます。

そして、「我を忘れてしまう」のは、僕も、あなたも、他の人も同じなんですよね。

そんな時には・・・気づいたものが率先して戻らないといけない・・・

あなたから自然の姿に戻ってください・・・率先して・・・

そうすることによって、大袈裟な意味ではなく、世界は光を再び見ることになります・・・

雲の向こうに見える光の世界・・・

それこそが本来あるべき世界です。