何よりも自分を信じる

何よりも自分を信じる

あなたが自分を信じないと誰があなたを信じるんですか。

 

まずは自分が信じること

最初に申し上げると・・・

この世界で一番強い力を持っているのがあなたなんです。

我々は一人一人が自分だけの固有の世界を経験しています。

その固有の世界は・・・

全てが素粒子という非常に小さな粒子から作られており・・・

その素粒子はその素粒子で作られた世界を見ている人の意思と連動しています。

つまり、あなたが見ている目の前の世界を創っている素粒子は・・・

あなたの意識と連動しているのです。

これは数十年も前から明らかになっています。

数年前に日本のある有名企業の研究チームが、月のような大きな天体ですら、我々が見るまではその位置が曖昧である可能性があるという研究結果を発表しました。

月という我々の世界では非常に大きな物体ですら、我々が外に出て、見るまではその位置が不確定であり、外に出て月を出た時点で初めてその位置が確定する・・・

もちろん、このような我々の環境設定は潜在意識によって決められていますから、我々が好き勝手に月の位置を決めることができないのは当たり前です。

ただ・・・科学の力によって、月ですら我々の意識とリンクしている可能性が示されたのです。

あなたの目の前の世界はあなたの意識とリンクしている・・・

この事実を認めない限り、あなたは自分の人生を劇的に変えていくことはできません。

自分としては都合が良いことを信じたいけれど、どこかで疑う自分がいる・・・

もちろん、100%信じ切ることなど難しいかもしれない・・・

でも、自分の中の疑いの気持ちに50%以上の力を渡してしまってはダメなんです。

タロットは未来を見せてくれますが、その未来はいつも揺らいでいます。

ある程度確定的な未来は見れますが、それでも100%確実ではないんですね。

大アルカナで見目された未来はまあまあ確率の高い未来ですが、それでもせいぜい70〜80%くらい・・・

小アルカナで示された未来など、50%以上〜60%くらいだと個人的には感じます。

あなたが望む未来が実現するかどうかの分水嶺が50%だとしたら・・・

小アルカナで示された未来はそれを10%程度超えたに過ぎません。

ある時点では示された未来であっても、あなたの気持ち次第で簡単に吹っ飛んでしまう未来です。

でも・・・そんな未来であっても・・・

ある時点では「実現可能な未来」として示された未来・・・

決して可能性0(ゼロ)の未来ではありません。

そんな未来を信じて欲しいんです。あなたが望む未来を・・・

あなたが見ている世界は、究極的にはあなたの意思で動く素粒子のスクリーンに映し出されたバーチャルワールドです。

あなたの今の思考が未来になる・・・

でも、この究極にリアルな世界は、あなたが自分の夢にたどり着くまでに色々な世界を見せてくれる・・・

1日に6万回ともいわれるあなたの全ての思考を、あなたはパーフェクトにコントロールできるわけではありません。

どうしても自分の夢を考えると不安になる・・・そんな不安が将来的に目の前に現れる世界に混入することもあるでしょう。

でも、それに流されちゃあダメなんです。

あなたがゴールを自分の心の中に保持している限り、そのゴールは必ず現れる・・・

まずは信じるのは自分なんです。

 

「客観的に」「現実的に」なんて言葉はこの世界に埋没してしまった考えに過ぎない

よく「客観的に見れば・・・」とか「現実的になれ・・・」とか言いますが・・・

この世界が究極的にあなたの考えの反映である以上、客観的な考えを示してくれる他人は、究極的にはあなたの内面を示すキャストに過ぎません。

そんなキャストに力を渡してしまってはダメです。

現実的になれ・・・その現実はあなたの内面の反映です。

過去のあなたの思考の燃えかすでしかない現実に、力を渡してしまったところで過去の再生産です。

「客観的」などない、そんなのただのハリボテです。

「現実的」などない、あなたが現実です。

もちろん現実を生きていれば、このような考えをいつもできるわけではないかもしれない。

でも、どうしても挫けそうで挫けそうで倒れそうになる時・・・この世界で1番の味方であるのは「あなた自身」であることを胸に刻み込んで欲しいんです。

あなたが見ているものははかない白昼夢ではない・・・馬鹿げた現実逃避でもない。

それを悲壮感なしに、ただ信じる・・・

よく「信じる」と言いながら、涙なみだで「こんな私の夢でもいつか実現する・・・」と堪えている人がいますが・・・

涙が出てきて堪えている時点で、その人の中では自分の夢を否定する気持ちが支配的なんです。

もちろん、浄化として出てくる涙、感情は発散すべきです。

でも、いつまでも自己憐憫の中にいながらそこをグルグル回っていて「信じている」ではないんです。

いつかは抜け出さないといけない。

ただ、明るく当然のように信じる・・・

そして、何かを思いついたら動くのです。