人の縁の不思議さ・・・

人の縁の不思議さ・・・

単純に割り切れないものが「縁」・・・

 

「赤ちゃんが生まれる」のも縁・・・

昨日、LINEのニュース欄になんとなく目をやると・・・ある芸能人のご夫婦の死産の記事が出ていました。

すごく残念だったな・・・と思います。

7ヶ月で・・・ってないですよね。

ただ、人の縁って複雑なんですよ・・・。

え?なんで、赤ちゃんができるかどうかが「縁」なのかって?

ある魂がある女性の元へとやってきて、赤ちゃんとしてこの世に生まれ出る時・・・

実はその前に、その赤ちゃんとして生まれ出る側と、お母さんとして出産する側に「合意」のようなものがあるようなのです。

もちろん、お母さんは表面上の意識では、そのことに気づいていません。

これはひょっとしたら、お母さん自身がこの世に生まれ出る前に決められていたことかもしれない・・・

要するに前世レベルのお話ですよね。

以前から申し上げていますように、前世から今世、そして来世へと「生」が変わっていっても、その中に出てくる主要な登場人物はあまり変化しません。

自分に親しくなるメンバーの数がある程度決まっていて、そのメンバーがそれぞれの「生」において恋人になったり、親になったり、子になったり・・・

このようなメンバーの中で、子供となる人がどのタイミングで生まれ出てくるのか・・・

ある程度、決められているようなんです。

一つの「生」において、特に親しい間柄の人間関係において人間は色々なことを学びます。

そしてその「学ぶべきテーマ」が親子の間である程度決められているのであれば・・・

親が「そのテーマを学ぶのにふさわしい状態」になれば、子供は生まれてくることになります。

親子関係において・・・親と子の間には様々な「学び」があります。

子だけが学ぶのではありません。親も学びます。

ということは、子供が生まれてくる時・・・というのは、親に学ぶ準備ができた時とも考えられます。

子供が欲しくても、なかなかできない・・・

いろんな要因があると思いますが、一つの理由としては「まだ、親の側に子供を受け入れるなんらかの準備ができていない」ことも考えられるんですね。

または何かをやって・・・そしてやり返されて・・・という前世からの「カルマ」の可能性もあります。

たとえば、前世において他の人の本当に大切なものを奪ってしまった・・・

すると、今世においてはなかなか大切なものが手に入らない・・・

また、このような話題になると「子供が欲しくても産めない人がいる一方で、せっかく子供が生まれてきたのに、その子供を虐待する親がいる・・・」という意見が出てきたりするのですが・・・

側から見たら「子供が生まれてきて幸せ」であるはずの状況でも、前世でのカルマを消化させるために今世にある親の子供として生まれてきているケースもあります。

たとえば前世において、ある人が別の人を殺した・・・そうすると、次の生ではその殺した人が殺された人の子供として生まれてくる・・・

そして虐待される・・・

表面上に見えているほど、人の縁って単純じゃないんです。

通常の私たちの目から見ると、我々の人生ってこの世に生まれてきた時に始まり、この世を去ると共に終わるように見えますよね?

でも、本当は前世、今世、来世ってずっと繋がっており、途切れるわけではないんです。

表面上は今世において「なかなか子供ができない」と見えますが・・・

でも・・・その線路は前世から続いていて、そこに「どんな縁があるのか」の話になってくるんです。

ただ、わからないのが時々、突然「ここに生まれることに決〜めた!!」と生まれてくる子がいます。

なんというか・・・予定変更も頻繁に起きるんですよね。

本当はこの夫婦の間に生まれてくるつもりはなかった・・・でも、なんらかの理由で生まれてくることになった。

そんなことは結構あるんです。

要するに「縁」って完全に決まってしまっていて「固定されている」ものじゃないんですよ。

それどころかしばしば予定変更されて、生まれてくる予定がなかったところに生まれてきたりする・・・

となると・・・いったい何が一番大きな要因になるのか・・・

「縁」以上に、単純に赤ちゃんを受け入れる側の体勢の問題もあるでしょう。

これもたくさんのケースがあるので、一概に「これだ」ということはできないのですが・・・

たとえば、前世における経験が原因で、表面上の意識ではわかっていなくても、潜在意識レベルで「子供を持つこと」に抵抗があるケースとか・・・

いろんな要因があるんです。

でも、前世に何があったとしても、基本的に「今世の意識」に最終的な選択権がありますから、「今、やっぱり赤ちゃんが欲しい」と思うのであれば、その意思を持ち続けることです。

たとえば、カルマ的なものがあって、それを遅らせているのであれば、単純にそのカルマを解消するような行動をする・・・

普段の生活から「人の役に立つような行動」を率先して実践することによっても、カルマは解消できます。

要は、他の人も究極的には「自分」であるわけです。

だから、前世においてAさんに対して何か傷つけるようなことをした・・・

でも、そのAさんも、元はと言えば「自分」・・・

ならば、今世においてはBさんの役に立つようなことをする・・・

そのBさんも究極的には「自分」なので、そこでカルマが解消できたりします。

 

また、「縁」というものが、実はかなり柔軟性があることも確かなようなので・・・

この世において「縁」が始まる最初の地点が「出産」なのであれば、それをある程度変更することも可能だと言えます。

「縁」というものが、絶対的に縛られるものでない以上・・・

「子供を産む」という行為も同様で、あきらめる必要はありません。

あとはどこまであきらめないのか・・・それはその人たちの意思と真摯な気持ち次第になります。

では、こんな記事を書いている僕自身はどうなのか・・・

そりゃあ、好きな人との間に子供ができたら嬉しいでしょう。なかなか子供ができなくても、もちろん努力するのはアリだと思います。

ただ、もし最終的に「できない」となった場合・・・

「じゃあ、二人の時間がいっぱいできたんだから、今までの分、一緒に遊ぼ。今までなかなか会えなかったんだから、その分遊ぼ」としたいかな・・・

いろんなところに行こ。いろんなものを食べて、いろんなことを経験して・・・

死ぬまで遊ぼ。

いや、死んでも、向こうに行ってからも遊ぼ。