フクシア

フクシア

信じる愛・・・

 

フクシアの花言葉・・・

僕が持っている時計の中で特に好きなのがこの時計です。

文字盤の周辺のベゼルの部分がバイオレット・・・

通常のこの時計のベゼルは、このような鮮やかな赤と青のコンビネーションなのですが・・・

僕の時計の場合は、このようなバイオレットに近いブルーとピンクのコンビネーション・・・

なんでも1960年代のたった2年間だけ作られていた色目のベゼルのようで、ある意味希少種です。

海外ではこの時計は、花にたとえて「フクシア」と名付けられています。

日本では普通に「バイオレット・ベゼル」と呼ばれていたのですが、外国の人はさすがネーミングセンスがいいなあと思ったりします笑

だって、この手の腕時計って基本的に男の子の趣味なんですよね。大人になっても男って基本的に子供なので、プラモデルとかおもちゃと変わらない世界なんです。

そんな「男子コテコテ」のグッズにお花の名前・・・さすがだなと思います。

僕のお気に入りのこの時計ですが、色目的な理由以外にもう一つ、この時計が好きなわけがあります。

この時計のニックネーム「フクシア」の花言葉・・・それは「信じる愛」なんですね。

もう、本当にそのまんまなんですよ。信じることなんです。

何も無理やり我慢して、忍耐強く「信じる」んじゃないんです。

ただ単に、自分の「好き」という気持ちを信じる。

元はと言えば、みんな「信じない」から話がややこしくなるんです。

自分の気持ちを信じない、相手を信じない、自分の縁を信じない・・・

だって、この世界は内面の反映なんだから、「信じない」ならば、「信じられない」ような世界が目の前に展開することはわかり切ったことです。

無理やりじゃないんです。

なぜ無理やりなのか・・・「放っておいたらうまくいかない」って思っているから・・・

つまり、自分の縁を信じてないから無理やりになるんです。

エゴって「無理やり」だし、「無理やり」ってことは「信じてない」ってことなんです。

「無理やり」がうまくいくことなんてありません。

だって、その前提が「強引にやらないとうまくいかない」なんです。

自然にうまくいくと思っているならば、無理やりにはなりません。

「強引に歩く」なんてことはしないのと同じなんです。

「信じる」というよりも、ただ「好き」でいるんです。

そして、好きだから、チャンスが来たら動いて掴めばいいんです。

自然だから・・・明らかにチャンスなのに動かないのもあり得ません。

みんな「強引さ」のワナにはまるから、最後に失ってしまう・・・

または明らかにチャンスなのに、それを信じられない・・・周囲の言葉の方を信じてしまう・・・

掴んでは失い、掴んでは失い・・・

または掴みかけては掴み損ねて、掴みかけては掴み損ねて・・・

で、最終的にはこの人生一個分を使い切ってもまだそれがわからなくて、次の人生に持ち越す・・・

それを繰り返しまくってカルマになる・・・

愛の明らかな基準は自分の感情です。他人の言葉ではありません。

自分の気持ちのみを信じるのです。

それをこの時計は教えてくれるような気がするので・・・

この時計が好きなんです。